自然には謙虚に。人間界は連帯で。 山元久惠さん

ウイルスが30億年前から存在するのに対して人間はせいぜい20万年前に出現した新参者だそうです。地球ができてから現代までを1年とするとウイルスは5月頃、人間は12月31日のあと少しで終わりのあたりで誕生したくらいの違いです。ウイルスは長~い長~い間宿主生物と平和共存を保ってきたというのです。ウイルスからすると人間社会との遭遇は相当なプレッシャーらしいです。

 

 翻って人間社会から見ると人類の命を桁違いに奪ってきた最大のものは戦争でも自然災害でもなくウイルスでした。疫病についての知識をほとんど持たずに20世紀をのほほんと生きてきた私は疫病なんて遠い昔の話だと思っていました。ところが21世紀の今ウイルスによるパンデミックが起きました。この新しいウイルスは、潜伏期間が長く、すぐに宿主を死なせるほど毒性は強くないのでウイルス自身が生き延びることができて、無症状の感染者を感染媒体にする等なかなか優秀な奴でした。自然を征服したかのようにふるまっていた現代社会は、結局ペストの時代と大差ない方法で町の閉鎖等を行い危機を乗り切ろうとしたのです。突然変異を繰り返す新型ウイルスに対しては現代科学が総力を挙げてもワクチンや治療法確立に数年はかかるのです。科学の力でなんでも自由にできると思いあがっていた裸の王様には手痛いお灸です。

 

「1住所に2枚マスクを配る」(注:たとえ学生寮でも2枚です)と首相が言ったのは4月1日だったのでエイプリルフールだと思いました。この国のコロナ危機対応のお粗末さに怒り心頭です。そのうえ彼は危機的状況を利用して自分のためだけに法律を変えようとしたり、緊急対策予算でお友達の懐にいっぱいお金が入るようにしたり、「今こそ改憲のための国民投票を」などと言い出したりしました。コロナ危機は多くの人に政治がまさに自分たちの暮らしや命と直結する問題だと教えてくれたかもしれません。見えない不安に対する差別や同調圧力など考えさせられた問題がたくさんありました。国と国、人と人の格差を放置すれば感染拡大は止まらない。キーワードは連帯でしょう。

 

 私は2月に合宿までして、歌やダンスを特訓し「同じ釜の飯を食べ」みんなと心を一つにして6月の市民ミュージカルを目指していたのですが、公演は時期未定の延期となりました。ウイルスの感染防止のために「いっしょに」語らってはいけない、歌ってはいけない、踊ってはいけない、奏でてはいけないからです。辛い決断にみんな涙。人と人が近づくことがいけないなんて想像もつかない初めてのことです。人は寄り添うことで社会を形作ってきたのに社会のあらゆる場面で寄り添うことが禁じられました。ウイルス畏るべし。人間が「ウイルスと戦う」なんてそもそも格が違う戦いだと思いました。

 

 硝子のように繊細な生態系を壊してしまった現代社会。資本主義の行きつく先の地球規模の環境破壊が新型ウイルスを発生させてしまったといわれていますが、原発が抱える問題も同じです。原発は自然界にない物質プルトニウムを作り出してしまう、その後始末をどうするのか答えを出せないまま先送りして原発を続けている。将来の地球に対してあまりにも無責任です。

 

世界中で50万人に迫る数の人がパンデミックで亡くなっている時に核兵器競争や軍事にお金を使おうとする(宇宙軍創設も!)なんてあまりにも愚かしい。命を守ることにこそお金を使ってほしい。それが本当の安全保障です。人類にもし英知があるなら自然と共存できる地球の一員をめざしてほしいのです。